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伊東信浩
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富津岬にある明治百年記念展望塔(千葉県富津市)に行って富士山や海堡を見てきた

投稿日:2018年10月23日 更新日:

2018年10月21日(日)は、ちばアクアラインマラソンの日でした。木更津市内は、交通規制などが多く、不自由な部分もあるので、少し出かけることに。

前日は、別のイベントで1日中動いていたので、疲労度高めという事で、ゆっくりとできるスポットに行ってきました。

場所は、こちら

富津岬

 

こちらが明治百年記念展望塔です。明治百年を記念し、昭和48年に建てられたもので、五葉松をかたどった形になっています。各所から展望塔の頂上に登ることができます。

この日は、晴天に恵まれましたが、風が強くて海の波は結構高めな感じですが、海の青色と空の青色がとても綺麗です。

海の方では、カイトサーフィン、カイトボードというのでしょうか?カイトを使った水上の遊びで楽しんでいる方が沢山いました。

波高め、風強めというコンディションでしたので、楽しいんではないでしょうかね。

疲労の体にムチを打って、展望塔を登っていくと、こんな絶景を見ることができます。富士山は、雪化粧をまとって綺麗に見えます。

画面向かって右側に見える小島が、第一海堡で、この富津岬から約1.5kmの所にあります。以前は、歩いて行けたという話も聞きます。

海堡という言葉は、聞きなれない方も多いと思いますが、こちらに書かれています。

東京湾海堡

富津岬の沖に見える手前側の島が第一海堡、その先の島が第二海堡である。海堡とは、人口の島に作られた砲台で、明治時代に陸軍軍人の西田明則が中心となり、日本陸軍省によって富津岬と観音崎を結ぶ東京湾口に3つ建設された。海堡が作られた目的は、外国の軍艦から首都を護ることであり、建設され順に東京湾第一海堡、第二海堡、第三海堡と名付けられた。このうち第一海堡、第二海堡が富津市地籍、第三海堡が横須賀市地籍となっている。

第一海堡は明治14年(1881)~明治23年(1890)の9年間、第二海堡は、明治22年(1889)~大正3年(1914)の25年間、第三海堡は明治25年(1892)~大正10年(1921)の29年間の歳月を費やして建設された。

近代日本で最初に造られた人工島の海堡は明治39年(1906)にアメリカから技術提供を求められたほど、注目された技術であった。海堡の建設工事の従事者は、その多くが千葉県の人々で、中でも富津市域の人々がその6割を占めていたといわれる。

面積は第一海堡が23,000㎡、第二海堡が41,000㎡、第三海堡が26,000㎡であり。このうち横須賀市の地籍となっていた第三海堡については、航路の安全を図るため平成12年(2000)度から平成19年(2007)度にかけて撤去工事が行われた。

三つの海堡が実戦に使われることはなかったが、首都防衛上の抑止力になっていたと推測できる。日露戦争中の明治37年(1904)、ロシアのウラジオ艦隊が日本の周囲に出撃し、近海で日本の輸送船を撃沈したが、東京湾には入らなかったという事実がそれを裏付けている。

平成22年(2010)11月25日 富津市教育委員会

という建物で、現在は基本的には立入禁止になっています。

展望塔の一番上に行くと、関東の富士見100景~富士山の見えるまちづくり~という事で、平成16年11月に選ばれています。

千葉県では、15か所が選ばれていて、そのうちの一つとなっています。

富津岬は、その他、潮干狩り場があったりジャンボプールがあったりと一日中楽しめるレジャースポットになっています。

ちなみに富津市内の10店舗では、海堡丼フェアというのを開催していて、こちらの海堡で獲れた魚介類を中心とした丼を提供しています。東京湾の海の幸を堪能するのも良いと思います。

 

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